年末年始の話
明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願い致します。
年末年始、ずっと恋人と一緒に居た。晦日は会社の忘年会があって、とても楽しかった。
皆それぞれ楽しんでいたし、私もバタバタながらにとても楽しく、そもそも人の世話をするのは好きだからああいうことには慣れている。
楽しかったなぁ
別店舗の店長(になる人)が、当たった一等の宿泊券を私にくれると言う。
二人で行ってきなさいと言ってくれた
私は無事インセンティブ一位も取ったし、なぜか取締役から某ホテルの食事券みたいなのも頂いてしまった。
忘年会が終わったあと、あの家に戻って、そこから先輩が実家に帰り、二人で家でぼんやりしてた。
大晦日は、ずっとテレビを観ながら食べて寝てを繰り返していた気がする。
ゆく年くる年も観れたし、年越しも二人で越せたことを嬉しく思う
最近の恋人は、付き合いたての頃よりも愛情表現を口にすることはめっきり無くなった。
最初はそれで飽きられたんじゃないかとか、捨てられるんじゃないかとか色々思ってたし、不安にもなって情緒不安定になることもあった
けど、最近はもうそんなことも思わなくなった。恋人はその分行動で示してくれるから、口よりも行動に出してくれる人の方が安心するものなのだな、と学んだ。
あと、「こういう人なのだ」という考え方に至るようになった
元彼は散々人に罵声暴言を浴びせるだけ浴びせて、その割に行動にも滅多に出さない人だった。
気まぐれで色々してくれたりすることもあったけど、それは本当に気まぐれでしかないから、私はその度に一喜一憂して傷ついていた。
そして、相手に求めてばかりいた。どうしてそんな酷いこと言うの、もっと愛してよ、大事にしてよと
あの頃は若かったなあと思うし、青かったなぁとも思う。
でもそれを思えるようになったのは、相手が恋人だからなのではないかと思う。
何となく、とても相性がいいと、勝手に感じている。
肌が触れているだけで心地が好い。
匂いも何もかも全部好き、ただ手を繋いでいるだけで眠くなる。
傍に居るだけで安心するのと、話をしなくても沈黙があってもそれは嫌な沈黙では決してなく
なぜかとても安心するのだ。
親のような安心感とはまた別の、どちらかというとアロマテラピーに近い感じの。
人混みが嫌いだとか、外に行くのが面倒だとか、そういう事を言いつつも私が行きたいと言えばちゃんと一緒に行ってくれる、寝てても私の手をちゃんと握ってくれたり、指を絡めれば握り返してくれたり、私の足先はいつも末端冷え性で冷たいからか、意識が無い状態でも必ず足先を暖めるように足で挟んでくれたりとか
そういう事をちゃんとしてくれるから、信じられるのかもしれない。
私がこんなにも他人を信用するのに日がかからないことは今まで一度も無かった。
夫ですら、二年かけてようやく分かりあったのだ。
それでも、好きという気持ちが強すぎるが故に、それは身体を求めるという安易なやり方しか知らない私が唯一できる愛情表現なのだけど
男の人って消費するものね。
どうしたらいいんだろう、どう求めたらいいんだろう、そもそも自分は何を欲しがっているんだろうと考えていたら、経験のないことに耐性のない私の頭はすぐにこんがらがって、挙句薬も切れていたのでパニックを起こした。
が、パニック障害になって早6年、落ち着くのに時間はそんなにかからなくなった。
私のメンタルは一度19の頃に粉々にぶっ壊れているから、しばらく精神科に通っていたし薬も飲み続けていた。
今はもうたまにしか行かないが、大事なものが離れそうになると混乱する癖があるので、だからこそ恋人を「こういう人だ」という考え方を定着させて付き合っていかねばならない。
大事で大好きな恋人だからこそ、これ以上負担はかけたくないし、私自身も恋人にとって安心できる相手であって欲しいのだ
今度から甘いものを常備しようと思った。できればチョコ、冬場は甘いココアがいいな。
恋人が前に言った「老夫婦のような、気を遣わない関係が一番いい」という台詞を頭の中でぼんやりと思い浮かばせて、穏やかであろうと思った。
安らぎをいつか与えることができる彼女でありたい
穏やかに二人で過ごしたいなあと思う
だから恋人のことを盲信的に見るのではなく、かと言って意地を張るのでもなく、ただただ受け入れて二人でゆっくり生きていければそれでいいと思う
ちなみに恋人におみくじの結果を予言されて、それがまんまと的中し、何なら恋人とお揃いの末吉だった。
書いてあることは大分違っていたけど、多分今年はこういう年なのかな、と思って今年もまた一年頑張れたらいい
二回目の大吉は無効化されてしまったので笑笑
26歳になる年が明けた。
今年も一年いい年になるといいな
恋人よ、今年も宜しくね。