metukiwaruiko’s blog

まだ内緒の話

一日の話

昨日は帰宅してから、翌日早入りだということも分かった上で、魚喃キリコを全巻読み漁っていた。

そして、今日は仕事を終えて、クタクタになって帰ったあと、夫が作ってくれた料理を一緒に食べた。久しぶりに、一緒に食事をした気がする

夫は年末調整ではなく確定申告として全てを自分一人でやらなきゃいけないことが判明したらしく、あれもこれも◯日までにやらなきゃいけない、憂鬱だ、とぼやいていた。そうか、大変だねえ、と愚痴を静かに聞いていた

 

最近忙しいの、と仕事の話になる。忙しいよ、繁忙期だしね、とご飯を食べながら返した。あまり無理しないようにね、身体が資本なんだから。あなたはあまり身体が強い方じゃ無いんだから、と心配してくれた。ありがとう、あなたも無理しないでね、と返した。非常に穏やかな夜ご飯だった。そしていくつかの話をした

 

「うちのバーにこういう人が来て、今日こんな感じだったよ。忙しかったし疲れた」

 

「お疲れ様、うちも今日忙しかったよ。明日は現場が嫌な所だからちょっと憂鬱」

 

「どこ?」

 

「〇〇」

 

「ああ、それ嫌だねえ。変えてもらえないの?」

 

「お願いしてみたんだけど、何か俺以外行けるって人が居なかったらしくて、結局変えてもらえなかった…‥」

 

「ああ、まああなた仕事できるからね。仕方ないね、モテる男は辛いわね」

 

「俺は宵にだけモテてればそれでいいよ」

 

何を言ってんの、と笑ってはみたものの、胸にぐさりと何かが刺さる。ごめんね、と心の中で謝る。

 

 

 

夫は朝が早いので、先に寝るね、と煙草を吸いながら眠そうに言った。私はちょっと疲れたから、湯船に浸かってから寝るわ、と返した。

おやすみ、と言って部屋の扉を閉める。本当は何気ない夫婦の日常の一つで、幸せなことのはずなのにね。私は毎日、この人の寝顔を見るたびに心の中で懺悔する

 

心が壊れそうになるたびに、付けっぱなしのネックレスを握る。夫に、宵がネックレスをずっと付けたままにするの珍しいね、よっぽどお気に入りなんだね、それ、と話しかけられた時、思わず苦笑いした

 

本当に、穏やかな夫婦だと思う。夫は何も悪くない。

ただ、私がダメな人間なだけだった。それだけのこと

 

 

そんなことを考えながら、ぼんやりと煙草を吸う。昨日、恋人にとてつもない負荷を掛けてしまった。自己嫌悪に満ちて、気性の荒さが最高潮に至ったけど、ふとした瞬間に全てがどうでもよくなった。

 

諦めた、というより、思考することを手放した。

 

 

鏡に映った自分の裸を、久しぶりにまじまじと見つめてみたけど、本当に肉が落ちたな、と思った。骨が浮いて、最低限の筋肉が何とか体を維持させようと努めているだけの、脆そうな体をしている。今や本当に気力だけで持たせているような、自分でもよくもまあ、こんな貧相な身体であの仕事量をこなしているな、と思う

そして、よくもこんな文章をつらつらと十年以上書き続けているなと思う

 

浴室内の電気が点かなくなって、もう半年くらい過ぎた。電球が切れたわけではなく、もっと別の回路的な問題らしい。夫に連絡しといて、と頼んだけど、結局連絡してもらえないから、半年経った今でも我が家の浴室は暗い。だから、脱衣所の電気と鏡の電気をどっちも点けて、間接照明のようにしてお風呂に入る。

 

浴槽の栓をして、お湯を溜める。溜まるまで、寒い、と思いながら私は浴槽の中で体育座りをする。少しずつ溜まっていくお湯を眺めながら、スマホで動画を観る。動画に夢中になっていたら、いつの間にかお湯は結構溜まっていて、ようやく脚を放り出した。シャンプーとコンディショナーの匂いが、湯気と共に立ち上っていく。これで、窓が付いていたら完璧だったのに、と思う

 

実家のお風呂は窓がある。わざと熱いお湯を沸かして、のぼせそうになったらその窓を開けて、景色を見ながら湯船に浸かるのが好きだった

 

ホテルに行っても、窓が付いているお風呂は絶対に開けてしまう。そしてそこから夜の景色を眺める。冷たい風と、熱いお湯と、流れていく湯気と、お風呂独特のいい匂いが夜風と交換されるように浴室の中で混ざり合うのが大好きだった。

 

そんな一人でも味わえる贅沢があるのだから、もう人に何かを求めすぎるのはやめようと思った。私は一人でも大丈夫、一人でも時間を潰せるし、固執しすぎる必要はどこにもなくて、丁度いい微温湯程度の人付き合いができれば、それでいい。なぜ、あんなにも必死になったのか、余裕がなかったのか、ああそうか、生理のせいだ。

 

そんなことを風呂場でずっと考えて、自分の中で何かがすっと落ちた。重い人間である必要はない、もっと気楽に考えればいい。そんなこと二五年の経験則の中で解りきっていることなのに、感情が追いつかなくなっていたのが昨日までのこと。生理って人の思考までも乗っ取るから、本当に怖い。

 

まるで取り憑かれていたかのような恋人への必死さは、もう無くなって、穏やかに、嫋やかに、緩やかに、恋人が好きだと思った。そしてそれは縛り上げるような窮屈さはなく、本当に静かなものへと形を変えて、私自身もゆとりを取り戻したのだった。

 

いつか、恋人と一緒に暮らす日々が始まったら、今のように落ち着いた日々が続けばいいと思う

 

重い、という自分の感情も好きじゃない。余裕を持って、ゆとりを持って生きていたい。誰かと時間を共有するのなら、それは静かで穏やかなものがいい。眠る時、たまに誰かの体温があってくれればそれでいい。静かな寝息が聞こえてくれればそれでいい

人に何かを預ける私が間違っていた、し、依存するものではないな、と

 

風呂上がり、自分からとてもいい香りがした。柚子の香りがして、全然関係ないのに、なぜか何となく、年末だな、今年ももう終わるんだな、と思った。

多分、今年の終わり、何かが私から無くなる気がする。誰か何かを失う気がする。それは大勢かもしれないし、少ないかもしれない。誰か何かもわからないけど、そんな気がしてならない。

そして新しい年はきっと、少しだけ泣くことになるような、そんな気がするのだ。

 

髪の毛はまだ半乾きで、だからこそ香りが強くて、お風呂の匂いってどうしてか昔からとても大好きで、わざと半乾きのままにしてしまう

 

煙草に火を点けて、音楽をかけてボーッとする。何かを考える時もあるし、何も考えないこともある。身体がまだポカポカと熱くて、部屋の冷気が心地好い。

 

私が吸っているアメスピは、一本が長いから、吸い終わる頃には少しだけ熱も引いて、寒さも感じるようになる。そこで初めて、部屋着と着る毛布を羽織って、温かいココアを淹れる。

 

今に至る。

 

 

今、とても穏やかである。何となく頭の中に浮かんだのは、恋人と最後に行った鶯谷の、駅から見た秋のような空だった。

今なら、恋人の理想とするような老夫婦のような、穏やかな時間が過ごせると思うし、もう必死になったりしがみつこうとする私はどこにも居なくて、静かに、静かに好きなことをしている。

未来のことで不安にもならないし、その不安のせいで焦燥感に駆られて人に縋ろうともしないし、離れていくものを追おうとも思わない。

 

穏やかな自分の時間が流れている。ゆっくりと、ゆったりと流れている。今の自分は、多分世界一幸せなのではないか、と思ってしまうくらい多幸感に満ちている。幸せな、深い夜の話。