長い休みと自由の話
最近になって、某コロナの影響でついに会社が休業になってしまったので、長い長い休みを貰った。とはいえ、休みという名の実質無職期間のようなもので、今現在ほぼニートとして恋人の家にずるずると居座っている
外食産業がこんなにも大打撃を受ける日が来るなんて。自分の仕事は、こういった事態の時に追い込まれるものだったのだなと、それは場合によってはどの業態も同じなのだけれど
明日こそは新しいバイト先候補に電話をかけるぞ、と思いつつ、今日も雨を理由に先延ばししてしまっている。明日こそ、明日こそ。
自分の家にはほとんど帰らなくなった。
感染症が、こんなにも人を苦しめるものなのかと、この状況になって現状を知る
ここ最近、ずっと寝てばかりいる。最低限の洗い物や洗濯、ゴミ整理くらいしかしていない、多分、そういうものも相まって、精神状態は限界に近付いている。
お金の心配もあるし、本当にこの先どうなってしまうのだろう
もう条件とか言ってないで、政府はとにかくお金をばらまけばいいよ。
でも、この街の風を感じると、何故か少し安心する。自分の家にも、実家にも居場所がない。恋人の家に居ると、少し安心する。恋人が居ると、それだけで安心する。
風の匂いだけは、裏切らないでいてくれる、ような、そんな気がする。こんな春なんて
、こんな春になってしまったなんて、誰が予測できただろうか。
仕方のないことだけど、
それでも、許せない。
自分の大切にしてきたもの、大切だと思ってきたもの、全て壊されてしまった気がして。
だめだ、暗い話はやめにしよう
最近、毎日恋人に抱かれている。前の記事でも書いたけど、本当に毎日だから、少しでも離れると違和感を感じる。
匂いも、腕の感触も、温もりも何もかも、最早体に刻み込まれている。
当たり前だと、思わないようにしている
これは決して当たり前ではないのだと
コロナに殺された人達も居る。事故や事件に巻き込まれた人も、病気で亡くなってしまった人も
決して当たり前ではない。だからこそ、毎日、毎秒幸せだと思う。元々は、自分の手の届かない所に居るような人だったのだから、
憧れるだけの、自分にはそれだけしかできないような、そんな人だったのだから
そんな人が、今も当たり前に居てくれる事に感謝しかない。
そんな人に、愛されて、真剣に想われて心配されることは、奇跡以外の何物でもない訳で
早く、普通の春が来てくれないかなと思っている。
せめて、夏はもう少し戻ってきてくれないかなと思っている。
隅田川の花火大会はもう、中止の発表がされている。
江戸川花火大会は、日程がもう指定されているようだ。
花火が、見たい。夏は、せめてあの透明感を描き出していてほしい。
ノスタルジーを感じられる、夏であってほしい。そう思うと、本当に恋しくって、あの去年の花火が。
でも今年は、もう花火の場所も違うのかな。行く人は絶対に違うのだろう、と思う
何だか妙な世の中になっちゃったね、と
それでも恋人が居てくれれば、どうにでもなるよね、きっと
窓を開けるたびに、懐かしいと思える様な、そんな感性だけは、何があっても死なないでほしいと思っている