風と夜の匂いが君に変わる日
25歳のフリーターもどきが、今更になって人を好きになってしまった話をしようと思う。
仕事から帰ってきて、まずすることはゴミ捨て。それから、立て掛けておいたエアーベッドを倒し、座って煙草に火を点ける
カチッ、シュボッ、カチッと音が鳴るこの火付け役は、貰い物のジッポライターが役目を担っている。そしてこのジッポは、最近できた恋人の影響を受けたものだった
まだ恋人同士でない頃、何なら何も始まってすらいない頃に、初めてあの人を見た時に点けていたジッポの手捌きがとても格好良くて、思わず見惚れていたのをよく覚えている、
私が憧れていた人が、まさか恋人になるなんて、思いもしなかった。そもそも、自分なんかとても釣り合わないと思っていた、し、悲しいくらいに遠い人だと思っていた。
きっと、この人はこんなにも強そうに見えるのに、自分が惚れた人には弱さを見せるのだろう。でもそれはきっと、私なんかが見れることはないのだろうと思っていた。
それでも、どうにか近付きたくて、憧れて憧れて、あんな風になりたいと思っていた。自分が彼の特別な人になれなくても、あんなにも格好いい人の格好いい所を真似したいと思っていた。
そして、今年の春の終わりかけ、夏になる頃、私は家族にジッポライターを貰ったのだった。
こっそり、何度も練習したけど、あの人のようには点けられなくて、そもそも会うこと自体少なかったから、縁はないものだと思って、普通のライターに戻した。
それでもたまに、もう居なくなってしまった私の唯一の同期が、彼と飲んだりダーツをして遊んだりする時、なぜか同期が私を誘ってくれるので、そのままついて行って一緒に遊んだりした。今思えば、皮肉なことにあいつは私と恋人のキューピッド役だったのかもしれない。そう考えると、同期には感謝をしている
自分一人で彼を誘う勇気なんてなかったし、二人で何を話したらいいのかも分からなかったから、同期が彼と遊ぶのを心密かに楽しみにしていた。
会える口実なんて、そんなことくらいしかなかったのだ。
初めて会ったのは、自分の職場の別店舗にヘルプに行かされた時だった。とてもとても綺麗な顔をしているけど、貫禄と威圧感が凄くて、絶対自分より歳上だと思っていたし、怒られたらめちゃくちゃ怖そうだと思った。ストイックさがストレートに伝わってきて、緊張しかしなかった。でも面倒見が良くて、あ、いい人なんだ、ちゃんと優しい人だと思った。
仕事終わり、その店舗の人達でラーメンを食べに行った時、さらっと私の分までお金を券売機に突っ込んでくれていたりとか、温かいお茶を作ってくれたりとか、そういう優しい所をさりげなく見せてくれるところが好印象だった。
動画を観ていたから、ひょいと覗いたら自分の好きなアーティストの曲で、趣味も何気に被っていることも知ったし、営業終わりの店内に流した音楽も自分の好きな曲ばかりだった。
でも一番衝撃的だったのは、スタッフだったかお客さんだったかが、恋愛の話をしていた時に「自分は恋愛したらメンヘラなので」と言ったこと
そのそんな感じで嘘だろ!?と思ったし、でももしそうなら、そんな部分を見てみたいと強く思った。
それから、ほとんど何もなかったのだけど
またしばらく日が経ってから、久方ぶりにヘルプで入ることがあった。
とても久しぶりだなと思いながら、その日を結構楽しみにしていた。
何か水分ください、ってお願いしたらメジャーカップいっぱいのテキーラを飲まされたりしたけど、そういう掛け合いも楽しかったっけ
「この子は本当に飲む子だと思ったよ」
後から知ったのは、彼は私の三つ下だということを知った。
初めて知った時は大声で驚いたし、その後しばらく絶句していた。
前髪をさらりと指で分けられたり、指がひび割れて痛いんです、と話したら私の手を取って「ああ、これは痛いね」っと真剣に見てくれたり、外に行ってきます、と声をかけた時に、しばらく真顔でこっちを見てから、急にニッと笑った時に完全に堕ちたんだと思う
ああ、人って本当に「ドキッ」って音がするのだと、この時24にして初めて知った。
それからその後外に立っている時間、ずっと顔が熱くて心臓が苦しくて、ドキドキしていたことを今でも覚えている。
胸元が苦しくて苦しくて、くすぐったいような、寒いのとはまた違う震えがあった。
あの眼が今でも忘れられずにいるから、恋人になった今でも眼を見つめてしまう。
書類上、私の立場ではそんなことは許されない状況にあったから、それ以上のことは求められなかったし、早く忘れろ、と自分に言い聞かせて押し殺していたけど、同期と遊ぶ時に会えることを楽しみにしてしまっている時点で、もうどうしようもできていなくて、自分の感情を押し殺せないのは初めてだった。
私は比較的、自分の感情を殺すことは得意だった。諦観が根付いているからか、手に入らないものは手に入らない、諦めることはとても簡単に、かつ酷く冷静にできてしまっていたし、執着して足掻くことはほとんどしてこなかった。
恐らくそれは、家庭環境によるものなのかもしれないが
今回も、殺さないといけないと思った
この先を望んではいけないと思ったし、その資格もなければ立場でもなく、手に入らないし入れてはいけないもので、
私ではどうしようもない、私ごときではどうしようもできない
とてもあの人の傍に居ていい人間じゃない
そう思うことで、押し殺そうとしたけど、その日噛み締めた唇からは血しか流れてはこなくて
押し殺し切った時、私は少しだけ一人でこっそり泣くのだけど、涙が出てこなくて、どれほど唇を噛み切ってもその感情が殺せることはなかった。
そして、三月末、自店舗の副店長が退職した日、彼と同期と三人でダーツバーに行って遊んだ。
首元をずっと撫でられていたことも、覚えている
そしてその後、私は一人で晴海埠頭に行った。
晴海埠頭は自分の原点と言っても過言ではないほどの思い入れがある場所で、この場所には誰かを連れて行くことはしなかった。自分のためだけの場所だったから、例え歴代の恋人でも連れて行ったことはなかった。
自分の、自分のためだけの場所だと思っていたのに、余韻はこの海にまで付いてきてしまって、晴海埠頭は彼の場所でもあるようになってしまった。
まだ、恋人を連れて行ったことはないのだけど、いつか自分のけじめのためにも連れて行こうと思う
それから、毎日LINEをするようになった。
律儀に返してくれて、私も毎日返して、毎日連絡を取れることが嬉しくて仕方がなかった。
そこから、色々あって、会社のBBQがあった日以来、関係が始まったのだけど、その時はまだ関係性は不確定だったし、不安と期待が入り混じっていて、毎日が一喜一憂だった
バーで遊びじゃないよと言われたことも、嫉妬の話を聞いたことも、誰かと一緒になることを嫌だと言われたことも、今までずっと私が抱きつく形で抱きしめていて、彼は背筋を真っ直ぐにしたまま抱きしめ返すくらいだったのが、初めて体をかがめて抱き締めてくれたことも、「いつも浅いキスだね」って言ったら次の時に深いキスをしてくれたことも、何もかもを覚えている。
真夏の炎天下、一時間くらいかけて、自分の地元を案内してくれたことも、山から二人で街を見下ろしたことも、私の写真を撮ってくれたことも、今度はこっちの道だな、と「また」の約束をしてくれたことも、帰りに扇子を貸してくれて、「また返しに来い」と次の機会を作ってくれたことも、何もかもが格好良くて、その時の恋人が美しくて、会う度に強く強く惹かれてしまうことは、もう自分ではどうしようもできなかった
離婚なんて、考えたこともなかった。
何よりも、こんなにも人に強く惹かれたことがなかった。
いくつか恋愛はしてきた。長ければ短いものもあったし、裏切ることも裏切られることもあった。人間というものに触れ続けてきたつもりだった。
結婚してもなお、自分は一人の人に落ち着くなんてことはできないと思っていたけど、恋人に惚れた瞬間に全て今までの自分が砕け散った。
余裕なんて微塵もない、会いたくて会いたくて仕方がない。
手を繋ぎたい、声が聴きたい、匂いを嗅ぎたい、抱き締めたい、キスがしたい。
ただ触れ合っているだけなのに、まるで自分の皮膚と同化したような一体感、快楽を得たのは今まで経験したことがなかった。ただ、触れているだけ。例えば手を、体のどこかに置いているだけ。それでもあまりの多幸感と気持ちよさに、恋人はドラッグか何かと思ってしまう。
一緒に居るだけで癒される、顔を見れば美しいものがあって、何をしてても格好いいと思ってしまう、可愛いと思ってしまう。
何だかんだで、自分本位な人間だった。最終的には自分が一番大事で、人付き合いも保身に入る。常に計算をして人付き合いをしていたし、マイナスになるのならどれほどの付き合いがあってもばっさり切ってしまうような薄情な人間だった。
でも、恋人に惚れ込んでから、まず他の人なんて考えられなくなったし、一瞬で他の異性が吹き飛んでしまった。そして何より、この人のためならどんな犠牲をも厭わないと思った。そんなことを他人に思うのは初めてだった。
よく出てくる言葉だから、チープに感じてしまって私はあまり遣いたくないのだが、それでもこう言わざるを得ないのだ。
自分にとっては、恋人こそが運命の人であった、と
夫は本当によく尽くしてくれる。私のためならいくらでも時間をかけてくれるし、お金もほとんど自分のためには使わず、私が喜ぶ食材のため、ストックなどを買ってくれたり、どれほど酔っ払って帰っても、少なくとも酔いが醒めるまでは献身的に介抱してくれるような、そんな人だ。
恐らく、精神的には私以外を愛さないし、この先もずっとそうしてくれると思う。
私を最優先にして、一緒に色々な所に行こうと言ってくれる人だ。
世間的に見れば、非常にできた夫だと思うし、私もそれは思う。
でも、そんな夫を捨ててでも、そして例え相手の親からどんなに罵声を浴びようとも、仮に別れ話がもつれてボコボコにされることがあったとしても
骨の一本二本折ってでも、私は恋人の元に行きたい。
自分の何かを、どんなに大きい犠牲を払ってでも、血反吐を吐いて泥水をすする羽目になったとしても、それでも私は恋人の元に行きたい。恋人と一緒になりたい。
「愛している」という言葉を吐くことが苦手だ。
好き、大好き、まではまだ分かる。付き合っている、もしくは結婚している。対象とした異性と自分の時間を共有するわけだから、好意がない方がおかしい。
しかし、「愛」とは何なのだろう。
付き合ってきた男からは、皆寂しそうに「俺がどれだけ愛していると言っても、お前は返してくれないんだね」と不満を漏らされた。
簡単に愛だなんて、口にはできない。自分が愛が何なのか分かってないのに、わからないものを相手に渡し伝えるわけにはいかない。
その度に、「ごめんね」と返した。皆、残念そうな顔をしたり、時には怒ったり、時には首を締められたり殴られたりすることもあった。
そして、「愛されているのかわからない」と言われた。
元々は、私も口での愛情表現は苦手だった。
でも、今の恋人には自然と口から言葉が溢れ出てしまうので、もしかしたらこれが愛なのかと考える
もう一つ、恋人を好きな理由の中に、風の匂いがある。
恋人と一緒に居る時は、どうしてか風の匂いがいつも懐かしい。一緒に外を歩いているだけなのに、風がどこか懐かしくて、自分の潜在意識レベルの記憶から、頭の中で映像が映し出されたり、何かどこかの場面が何枚も写真のように張り出されているような感覚に陥る。そんな感覚に他人と一緒に居てなることなんてまずなかった。
誰かと一緒に居ても、常に自分の中の感性の窓を自分の中だけで開放させて、常に他人との感覚をシャットアウトしていたから
でも恋人は違うのだ。恋人と一緒に居る時にその強烈に懐かしい感覚に襲われるのだ。風の匂いも、見えているはずの景色の色も一変してしまう。そして、自分でも忘れていたような幼き頃の一枚を、匂いを、ふとその時感じた感覚を、鮮やかに蘇らせてくれるのだ。
御伽噺のように思われるかもしれないが、前世というものが存在しているのなら、絶対に恋人とは何かあったと思う。兄弟かもしれないし、夫婦かもしれないし、家族のどこかかもしれない。
それくらい、一緒に居て居心地が良すぎるのだ。
育ってきた環境も、考え方も性格も全然違うのに、どうしてこんなにも相性がいいのだろう。
不思議極まれることだが、とにかく言えることは、私は恋人のことが大事で、心底愛している。
早く引っ越して、籍のけじめをつけて、ただ一人の女として、あの人の所に行きたい。
25歳で、私は初めて本物の恋をしました。
ありがとう