雨音と現実感の話
夜の雨音というのは、風情があっていい。
そして、隣で眠るこの人が、恋人であるという事の現実感の無さよ
男の人って皆似た所があるから、ふとした瞬間に今隣に居るのが誰なのか分からなくなりそうな、妙な錯覚に陥ることがある。
今こうして、横になって暮らしているこの住処は、私の本当の住所ではなくて。
つくづく、奇妙な暮らしをしていると思う
いつも腕枕をしてもらっているので、そうなると必然的に彼の頭より下に私が居る状態になるから、顔を上げない限り恋人の顔は見れない。
無論、たまに上げては見るようにしているのだけど
首から下しか見えないと、たまに不安になる。
隣に居るのは恋人なのだろうかと、
本当に、この人なのだろうかと
白い部屋着に緩い短パン、体つきと脚の毛
たまに、自宅のあの人の既視感に、焦燥感を抱く時がある。
違う、この人は恋人だ。
あの人じゃない
匂いと静かな寝息で安心する。
雨の音に耳を澄ませて、心を落ち着かせる。
左腕に手首まで入った墨を見て、心の底から安心するのだ。
だから私も、早く入れたいと思う。
もう、元の生活に戻る気はないという、誓いのようなもので。
全部俺のもの、って縛ってくれるくらいが良い。
束縛嫌いの本当の理由は、そうしないと自我が保てないから。
今まで染まっても結局捨てられたり別れたりして、何だよあの言葉は全部嘘だったんじゃんってなるのがもう嫌だったから。
恋人は、もう一度だけ信じさせてくれるような、そんな気がするから、
もう一度だけ、盲目的に依存することを自分の中で許してみようかなと思う。
本当はね、
殴って首を絞めて蹴って犯し尽くされて、強制的に中に出して逆らえなくさせて欲しいの
そこまでされないと愛されてる実感が湧かない。
縛って縛って、独占欲が見られるような
自分だけの物だって叩き込まれて刻み込まれるような
そんな感じがいいんです。
体中痕だらけになるような
そうじゃないと、怖いんです。
恋人の眼を彫りたいのも、自分自身で洗脳を掛けたいから。
この腕には恋人が居ると思いたくて、いつも見られてると思いたくて、ずっと一緒だと思いたい。
乱暴に扱われるくらいが丁度いい。
でも言葉で傷付けられるのは得意じゃない。
俺だけのものだ、って言って欲しい。
愛されてるけど愛されたいです。
もっともっと奥の深い所まで、私の見せない所まで、手を突っ込んでぐっちゃぐちゃにして欲しい。
恋人無しじゃ生きられないそんな人間にしてください
身体の色々な話
5月9日、恋人との間にできた赤ちゃんを堕ろした。
淡々と血液検査や子宮内検査が行われ、自分もまた淡々とそれを処理してしまう事に何となく罪悪感を感じる。
中絶手術当日、初めて赤ちゃんの写真を見て、ああ、案外まだそこまで育ってなかったんだな、という事を知った。
それでも、ハムスターがひっくり返ったような我が子を見て、やっぱり可愛いと思ったし、この感情を抱いてからの即手術室に移動するのはなかなか辛いものがあった。
点滴の管を通され、腕に針が刺さり、3秒くらいで意識が無くなった。
次に目を開けた時には、手術室ですらなく、手術準備室のベッドに寝かされていた。
思わず飛び起きて、「えっ、もう終わったんですか、手術」と聞くと、看護師さんが何を当たり前な、と言った表情で「ええ、もう全部終わってミレーナも入っているので、ただまだ麻酔が効いていますから、もう少し休んでて良いですよ」と声をかけてくれた。
ミレーナ(IUD)を入れた。
避妊具の一種で、ピルと同等の効果があり、ピルよりも確実な避妊術でもある。
手術前に、これからの避妊はどうしますか、と聞かれ、ピルを考えているのですが、と答えると、喫煙者にはピルを処方できないんですよ、代わりにミレーナという物がありますが、どうしますか、というやり取りがあった。
子宮内に入れたIUDが黄体ホルモンを放出することにより、子宮内膜を薄くして、受精はしても着床はしない仕組みになっている。
その効果は一度入れれば五年間は保証される。
ただ、月経過多などの病気ではなく、避妊具として扱う場合は保険がきかないので値段が上がる。
それでも、五万くらいなので最終的にはピルよりもコストは掛からずに済む。
血栓症のリスクもかからず、毎日時間を気にして薬を飲まなくても良いなら、と即決した。
下世話な話、セックスは生派だしコンドームを使ったセックスなんて、最後にしたのいつだろう。
もう覚えてない。
よくよく考えたら、それで性病とかに一度もかからなかったのは奇跡と言えるくらいだ。
恋人とのセックスもすっかり中出しにハマってしまって、多分もう外出しとかに戻れない気がする。
私が無理。
完全に中出し中毒者なので、クズ、ここに極まれりって感じですね。
そんな訳で、私の子宮には今ミレーナが入っている。
まぁ、激痛でしたよ。
入れた初日は。
ラミナリアとどっこいどっこいくらい、いや、それ以上かも知れない。
痛みに悶える私を、恋人はずっと宥めてくれていた。
感謝しかないです、ありがとう。
身体に何かしらの事をしている。
19の頃、バイトと何となくの虚無感に襲われ、挙句家が本当に嫌で嫌で仕方なく、手首から肩までにかけてズタズタになった。
今となってはもう傷は残っていない、今でもあの頃は馬鹿だったなあ、と思う。
精神科で処方された薬をODしては発狂し、本当に狂ってたとしか言いようがない。
20の頃、ピアスを開けた。
デコピンくらいの痛さに拍子抜けした。
そして初めて子供を堕ろした。
術後検診をバックれた。
めんどくさかった。
23の時、ある思いから眼を整形した。
それから今までで合計4回中絶してる訳だが、私は頭が悪いんだと思う。
変な所だけ、頭が回る。でも、人生においてはとことん波乱万丈な癖に不器用。
不器用だから、波乱万丈になるのか。
何となく振り返っただけでも、色々あったな、と思う。
忘れっぽいのと、仕事に熱中してる時は仕事の事しか考えないから、過去なんて振り返ってる暇はねえとがむしゃらにやってたけど、休業中かつニートの今、時間ばかりあるのでよく過去の事を思い出すようになった。
すっかり忘れていた事が鮮明に浮かぶようになって、懐かしいやらしんどいやら、複雑な気持ちだ。
そして今度は、タトゥーを入れようと思う。
身体に何かしらしている。
ピアスも整形も一生モノで、それこそタトゥーも一生モノだ。
恋人は覚えているだろうか、まだ月2程度のデートでしか会えなくて、会う度に緊張していたあの頃。
とある居酒屋で、刺青と整形の話をしたことを。
恋人には、ガッツリ墨が入っている。
タトゥーなんてものではなく、刺青そのもの。
私にとってはとても美しく、格好いいなと思うものだけど、一般的には多少なりとも倦厭されてしまうもので。
そして私も整形の話をした。
私の眼は、ただの二重整形では無い事を。
昔一目惚れした、ある同級生の男の子の眼そっくりにデザインしてもらったこと、その眼に対する執着は凄まじかったということ、そして今でもそれを後悔はしていないということ。
恋人は、その時「勿論聞いて気持ちのいい話ではないけど、俺の墨も一生モンだし、お互い欠陥者同士でいいんじゃない?」と言ってくれた。
幾度となくこの人で良かったと思う事はあったが、この時も強くそう思ったのだった。
身体に何かしらのものを残すこと、傷になるかもしれないもの、それでも私は後悔はしないと思う。
恋人と毎日一緒に居て、毎日彼の刺青を見る。
見る度に綺麗だと思うし、自分も入れたいという欲求が強くなる。
けど、恋人は今まで私に「お前は彫ったらだめ」
と言われてきたので、我慢してたけど、やっぱり入れたくて入れたくて仕方なくなってしまった。
意外にもお許しを得たので、デザインをどうしようかなと色々調べてみた。
タトゥーにも意味があると、初めて知った。
ずっと幾何学模様が良いなと思っていたけど、意味を調べていったら、竹がいいなと思った。
本来は虎との組み合わせによる意味合いなのだけど、
「強い虎でも象と真正面からの戦いは不利であるが、竹藪に身を隠すことで有利になる。竹藪は体の大きい象は入りにくく、入れば武器である象牙が傷ついてしまう。虎にとって竹(竹藪)は、安息の地であり、安全地帯である」
らしい。
これを見て、あ、竹にしようと思った。
私が恋人にとって、安息の地でありますように。
これから先、何かあるかもしれない。
どんなカップルにだって、必ず倦怠期は来る訳で。
その時、もしかしたら浮気される事があるかも知れない。
それでも、帰ってくる場所が私でありますように。
普段強く見えるあの人が、弱音を吐ける、甘えられる安息の地が、私でありますように。
そんな願いを込めて、入れることにした。
虎(恋人)にとっての竹でありたい。
蝶も入れるつもり。これは単純に、恋人とのお揃いになるので。
虎との組み合わせが良いのが竹だけど、肝心の虎は御本人がいつも傍に居るから、入れなくていいかなと思っている。
絵として入れてしまったら、生きて傍に居る本人が過去のものになってしまいそうで。
私は自分の立ち位置の願いとして、竹を入れるのであって、本人を喩えたものそのものを入れるつもりは無いのである。
入れたものは消さない限り、一生傍に居るから、本人の喩え物は入れない方がいい。
だって本人が傍に居るんだもの。
一生居てくれると信じているから。
刻まれるのは「願い」だけでいい。
思い立ったが吉日タイプなので、調べるだけ調べたら即行で予約しようと思っている。
自分のやりたい事に対して、行動力が無駄にある。
代わりに、後で情報不足でしまった、と思うこともあるのだが。
それでも後悔したことは一度もない。
自分のしてきた行動に、後悔はない。
しない。
全て経験だったのだと思うようにしている。
繰り返した上で、これはもういいやと思ったものだけ切り捨てる。
一度で学ばないから、多分馬鹿なんだと思う
それでもこういう生き方しかできないんだもの
昔ある人に、
「貴方の生き方は三島由紀夫そのものだ」
と言われた事がある。
脈々とした血の匂いと、その癖不器用で変な所に意地を張り、無駄に肝が座っていて、自ら傷を負ってでも自分で経験しないと納得しない
傍目から見たら弱々しいが、追い詰められると鋭利な強さを発揮する
内なる強さは誰よりも強い
そんな事を、言われた事がある。
その通りだと思う。
多分、私は一生こんな事をし続けるし言い続けるのだと思う。
取り返しのつかないものに手を出しては納得していくのだと思う。
そしてたまに人生において嘆いては、またそれでも生きようとするのではないだろうか。
こんな文章を延々と書き連ねていくのではないだろうか。
それでも多分、一人になる事はなくて、
きっと恋人が傍に居るのだと信じている。
依存ではなく、ゆっくり、この先の時間を共に歩んでくれることを信じている。
まぁ、それも依存なのかもしれないけどね。
一生に(本来は)一度と言われる結婚を離婚とし、更には恋人という一人の人間に掛けたタトゥーまで入れようとしているのだから、とことん本気なんだなぁ、と
ぼんやり喫茶店に行って珈琲を飲みつつ、自転車で海を見ながら思ったことでした、まる
初夏の香りの話
風の匂いに敏感になり過ぎるくらいの体になってしまったので、今の季節の変わり目にはある意味調度良かったのかもしれない、が、辛いものは辛いので、早く終わる事だけを祈っている。
まさかコロナの影響で荷物がここまで遅れてしまうとは……
こんなご時世でも、四季は順々に廻ってくるわけで。
初夏に、なりましたね
今年のGWの、何と味気ない事。ま、仕方のない事だけれど
こんなご時世だからこそ、また個人ブログの時代が戻ってこないだろうかと、密かに期待してしまう。
あの頃のように、皆こぞってHPを立ち上げて、思い思いの旨を書き綴ったあの時代に、また戻りはしないだろうか。
昨日久々に過去の自分のHPの跡地を探して、そこからあの頃の残骸を拾おうと思ったが、その残骸も塵すら残ってはいなかった。
あの頃のあの人達は、今何処で何をしているのだろうか。
そして、幾つになったのだろうか。
十年経った今、私はもう26になる。
皆が集まったランキングサイトも、ほとんどが閉鎖されていた。
それでも、まだHPサイト自体のサービスが継続されているだけマシなのか。
もう誰もやっていない個人サイト達。
運営も、もう諦めているだろうに
休業してからというもの、本当に人に触れなくなって、仕事も休んでいるから昔の創作欲ばかりが掻き立てられるのだが、最早タグやHTMLなどもほとんど覚えていない。
コピペからの編集でどうにかなるものもあれば、素材はもう彼らが居なくなってしまった以上、手に入る物も少なくて
tumblerも、もう最盛期はとっくに終わってしまって、何というか
栄枯盛衰ってあるんだなあと
インスタグラムやTwitterは強い、けど、それらだっていつ終わるかはわからない。
もしあの時代が戻ってきたら、またあのサイトを立ち上げたい。
時が止まる中での話
時が止まる、と言うのはあくまでも比喩であって、寧ろ現実は残酷なくらいあっという間に時が過ぎていく。今の私はこれ以上荷物が届かないまま、時に進まれてしまうと非常に困る立場にあるのだが。
恋人との、子どもができた。
お腹の中に、まだ居る。
実感は嫌という程あるのだけど(主に悪阻の症状で)、これだけ辛い思いをさせられると果たして愛せるのかと言われれば、もしこのまま産めるのであればその苦痛も愛おしいと思えたのだろうけど、今回はさよならが決定している分、早く終わって欲しいとも思う。
ただ、今までとは決定的に違うのは、それでも多分私は終わった日は一日泣くのではないだろうかと思うくらいには、まだお腹に居る我が子を愛おしく思えている事だ。
最近は仕事も休業中で、ずっと恋人の家に居る。もう根っこでも生えているのではないかというくらいには、ずっとずっと家に居る。外に出ていない、ひすら布団に横になっている。このままでは体が腐ってしまう、が、ウーバーイーツをしようにも多分今の状態で自転車になんて乗ったら顔面から転げ落ちそうだ。
吐き気が酷い。目眩と貧血、全身の力が微塵も入らない。何か食べれば吐いてしまうし、眠れば中途半端に覚醒してしまう。その瞬間、口の中に有り得ない量の唾液が勝手に分泌されて、これがまた気持ち悪い。よだれづわり、と言うらしい。
それでも、恋人の仕事もリモートワークになってる今、恋人もほとんど家に居るので、何をしなくてもただ一緒に居られるのが嬉しい。一緒に映画をみたり、テレビを観たり、動画を流したり、寝たり。
だらだらとしているだけの時間が、たまらなく愛おしい。
自炊もたまにするのだけど、大抵のものは美味しいと食べてくれる。
作りがいがあるし、嬉しい。
恋人と一緒に居る時は幸せだ。ただ、妊娠期間中の情緒不安定に付き合わせてしまうのが申し訳ない。自分でもホルモンバランスがおかしくなっている事や、荷物が届かないこと、働けないから日銭を稼ぐこともできない、それらの色んな焦りがそう言った焦燥感を煽っているのだとは分かってはいるものの、自分でそれを止めてやることができない。
恋人は、それでも私の背中や頭を辛抱強く撫でてくれる。きっと、子供が産まれていたら、優しいお父さんになったのだろうな、と思う。
もし、また次妊娠することがあったら、その父親はどうか恋人であってほしい。
あの人なら、良い父親になれると思う、
私は、良い母親になれるだろうか?
私の母親みたいになったりしないだろうか。
心も体も強くない、育児にちゃんと向き合って、子どもに向き合って、辛抱強く愛を持って育てられるのだろうか。
分からないけど、もし子どもを育てる事がこの先あったら、絶対に自分の命を犠牲にしてでも子供を優先できるような親でありたい。
どんな事があっても、見捨てないような、子どもにとっての絶対であれるように、そんな親でありたい。
もし、産まれてきたら、恋人はどんな風に接するのだろうか。
現状、まだ素直に喜べる立場ではないけど、それでも出来た事自体に喜んでくれた恋人に感謝する。
次は産んであげられたらいいな。
ごめんね、
長い休みと自由の話
最近になって、某コロナの影響でついに会社が休業になってしまったので、長い長い休みを貰った。とはいえ、休みという名の実質無職期間のようなもので、今現在ほぼニートとして恋人の家にずるずると居座っている
外食産業がこんなにも大打撃を受ける日が来るなんて。自分の仕事は、こういった事態の時に追い込まれるものだったのだなと、それは場合によってはどの業態も同じなのだけれど
明日こそは新しいバイト先候補に電話をかけるぞ、と思いつつ、今日も雨を理由に先延ばししてしまっている。明日こそ、明日こそ。
自分の家にはほとんど帰らなくなった。
感染症が、こんなにも人を苦しめるものなのかと、この状況になって現状を知る
ここ最近、ずっと寝てばかりいる。最低限の洗い物や洗濯、ゴミ整理くらいしかしていない、多分、そういうものも相まって、精神状態は限界に近付いている。
お金の心配もあるし、本当にこの先どうなってしまうのだろう
もう条件とか言ってないで、政府はとにかくお金をばらまけばいいよ。
でも、この街の風を感じると、何故か少し安心する。自分の家にも、実家にも居場所がない。恋人の家に居ると、少し安心する。恋人が居ると、それだけで安心する。
風の匂いだけは、裏切らないでいてくれる、ような、そんな気がする。こんな春なんて
、こんな春になってしまったなんて、誰が予測できただろうか。
仕方のないことだけど、
それでも、許せない。
自分の大切にしてきたもの、大切だと思ってきたもの、全て壊されてしまった気がして。
だめだ、暗い話はやめにしよう
最近、毎日恋人に抱かれている。前の記事でも書いたけど、本当に毎日だから、少しでも離れると違和感を感じる。
匂いも、腕の感触も、温もりも何もかも、最早体に刻み込まれている。
当たり前だと、思わないようにしている
これは決して当たり前ではないのだと
コロナに殺された人達も居る。事故や事件に巻き込まれた人も、病気で亡くなってしまった人も
決して当たり前ではない。だからこそ、毎日、毎秒幸せだと思う。元々は、自分の手の届かない所に居るような人だったのだから、
憧れるだけの、自分にはそれだけしかできないような、そんな人だったのだから
そんな人が、今も当たり前に居てくれる事に感謝しかない。
そんな人に、愛されて、真剣に想われて心配されることは、奇跡以外の何物でもない訳で
早く、普通の春が来てくれないかなと思っている。
せめて、夏はもう少し戻ってきてくれないかなと思っている。
隅田川の花火大会はもう、中止の発表がされている。
江戸川花火大会は、日程がもう指定されているようだ。
花火が、見たい。夏は、せめてあの透明感を描き出していてほしい。
ノスタルジーを感じられる、夏であってほしい。そう思うと、本当に恋しくって、あの去年の花火が。
でも今年は、もう花火の場所も違うのかな。行く人は絶対に違うのだろう、と思う
何だか妙な世の中になっちゃったね、と
それでも恋人が居てくれれば、どうにでもなるよね、きっと
窓を開けるたびに、懐かしいと思える様な、そんな感性だけは、何があっても死なないでほしいと思っている
移り目と変わり目の話
早く春になって欲しい、と願っていたら、いつの間にかもう春になっていたお話
寒い寒いと凍えていた冬も、いつの間にやら少しずつ春と交代をしていたようで
ただ、今年の春はあまりにも世界的には辛いものとなった
コロナが流行ってからというもの、飲食業界は大打撃を受け、非正規雇用の人間から痛手を食っている。自分含め、フリーターは今が耐え時なのだろうけど、とても辛い。
お店もめっきり暇だ。シフトも削られて、不安ばかりが募っていく
個人の変化としては、殆ど自分の家に帰ることはなくなった。
今は、恋人ともう一人の同居人と私の三人で暮らしているようなもので、冷静に考えて一つ屋根の下に男二人と女一人がシェアハウスでもないのに暮らしているのは、なかなかに異常な光景だと思う。
歪とまでは言わないが、しかもその一人の女が現時点ではまだ人妻であり、夫の元に何日も帰らないという字面だけで言えば完全に泥沼の生活だ
以前もたまにお世話にはなっていたものの、今じゃほとんどをこの家で過ごしているため、最早三人目の居候者として住み着かせてもらっている
下着などの着替えに洗顔フォーム、シャンプーリンスに歯ブラシに鏡……と、完全に「暮らして」しまうようになった
たまに自分の家に帰ると、逆に違和感を抱くくらいになった。そしてなるべく、夫の顔を見ないようにして過ごす
以前はそんな私に訝しげな顔をしたり、探ってきたり、そこから喧嘩になったりしたものだが、最近は薄々気付いているのかもう何も追及もして来なくなった
諦めたように、そのまま何事も無かったかのように顔を合わせた時は話をする。
その内、相手もセフレを作ろうとしてる話やピンサロの話など、堂々と浮気宣言をするようになった
私は念押しで最後まで言わないで、別れを告げようと思っていたが、離婚だけは避けていた夫がついこの間ようやく「別にいいけどさ」と受け入れるようになった。
何となく、その瞬間終わりが見えた気がした。
日付も籍を入れた8月8日に、キリよく二年迎えたらそこで離婚届を出そうということで話が着いた。
出し終わったら、そのまま最後に焼肉でも行こう、あの街を最後に二人で散歩しよう、と
私は、あの街が好きだった。
あの川も、土手道も、よく自転車で流したものだ。二人で浦安まで自転車で走ったりもした。
買い物もよく一緒に行っていたし、ご飯も一緒によく作った。
結婚したての頃は、とても仲睦まじく過ごしていたし、お互い支え合って生活していた。
犬の散歩も、二人だけの散歩も、どっちも大好きだった
思い出だけが、とても綺麗に鮮明に、私の中で呼び止める。
でももう、異性として、夫としては愛せない。そのものに未練は全くない、のに、恐らく三年は一緒に居た情だけが残っているのだろう。
いよいよ、期日を明確に決めた事で、はっきりと離婚するんだという現実が胸に突き刺さる。
クズな部分も最低な部分も、腐るほど見てきたし見せてきたよね、
それでも許し合ってきたんだよね。
私がどれだけ傷付けても、あの人はご飯を作って待っててくれていた
最後に思い浮かぶのは、喧嘩してる時ではなくあの優しさであることが、あまりにも辛かった。
腹を括ったつもりだったけど、もしかしたらどこかで覚悟を決めきれていなかったのだろうか
恋人に縋ってワンワンと泣いた。
恋人は責めることなく、頭を撫でて抱き締めてくれた。
せめて、せめて手酷い最後にしてくれなければ、私は居た堪れない。殴られた方がずっとマシで、罵声暴言を浴びて傷付けてくれた方がいい。
でも多分、あの人は最後に私の幸せを願って、痩せ我慢の笑顔で送り出してくれるのだろう。
そういう人だ。だから、結婚したのだから
その優しさへの辛さが、自分への罰なのだと思う
傷付けてくれる程の優しさと甘さは、無い方がいいのかもしれない。
自分で選んだ道なのだ。
血反吐を吐く思いをしてでも、自分で償う他ないのである
恋人を本気で選んだあの日から、私は何があっても自分で責任を取ろうと決めたのだから
コロナの影響で、花見が自粛になった。
三人で住んでいる家の近くにある神社は、本来は毎年大きな花見の舞台となっているらしい。
ただ今年は、屋台も神社がやる祭りも何も無かった。それでも、恋人と初めて行く花見がとてもとても嬉しかった
ずっと、春になって欲しいと願っていた。
ずっと、恋人と桜が見れることを楽しみにしていた。
恋人と一緒に見る桜は、きっととても美しくて、懐かしい風を感じられるのだろう、と
沢山の写真を撮って、ゆっくりと二人で歩いた。手を繋いで、隣街まで歩いた。
恋人と居る時の風は、いつもどこか懐かしくて、初めて行く所でも、なぜか匂いと空気が夕暮れ時のそれに染められたような、子供の頃の一瞬を思い出させてくれるような感覚になる。
例えその子供時代が幻想であったとしても、それでも感じるものは「懐かしさ」で
桜を見終わって、そのまま彼の店の常連様がやっているという天麩羅屋に行って、とても美味しい天麩羅を食べた。
本気で美味しさを噛み締める恋人の表情を初めて見た。
お酒も料理も美味しくて、大将の人柄も本当に良くて、あれなら常連になるのもよく分かる、と納得がいった
素敵な食事の時間を過ごして、外に出ると丁度いい夜になっていた。
春の宵風と、淡く白く光る夜桜が、あまりにも綺麗で、泣きたくなるくらい美しかった
あの夜を、あの春を、あの桜達とあの街を、あの空気を、恋人と共有できたことが嬉しくて
あの日は自分の中で、あの海を見たあの日に並ぶくらいの宝物となった
ふと、寄りかけた喫茶店を、今度は恋人と行きたいと思う
改めて思うのだ。
恋人を選んで良かったと、悔いは無い、私は間違ってなかったのだと
何度見ても、一番美しくて、私の好きな物が全て似合う。花も月も夜も風も和の美しさも何もかも。
何時間だって眺めていられる顔や姿は、自分の中では宝石に近い。
何より、恋人と一緒に居る時は、いつだって自分の中の何か、形容し難いノスタルジーが全てを包み込んでくれる
触れ合う肌も、匂いも何もかもがあまりにも自然と自分に溶け込んでしまうから、本当に私とこの人は他人だったのだろうかと思ってしまうほどで
前世があるとしたら、兄妹とかだったのではないかと思う
触れていることが、触れている所が、溶けて混ざり合ってしまうような錯覚に陥る。それ程までに気持ちいい
抱かれて眠ることが当たり前になっている近頃は、一人では眠ることさえままならなくなった。
何があっても、何を言われても納得して受け入れてしまう。
私はもう、この人からは離れられないと思う
この間実家に帰ったら、色々と環境が悪化していて
、私の中での家族に対する「絶対」の概念が崩壊してしまった。
恥ずかしい話だが、私の家族への感覚は小学生の低学年あたりで止まっている。
祖母もまだ元気に仕事をしていて、父はたまの休みにどこかお出かけに連れて行ってくれて、母はご飯や美味しいココアをいれてくれる
家族団欒は確かにあったし、食事時皆でテレビを観ながら話をする、そんな家庭だった。
勿論、そんなものは徐々に変わっていってしまうし、私が高校生だった頃はむしろ家庭環境は最悪で、死ぬの死なないの死ねだの離婚だの、諸々ぶつかりあったものだった
それでも、大人になってから変わったし、自分が家を出たことで、ある意味バランスが取れるようになって、たまに帰ると昔のような家族に会えるのが嬉しくて、頻度は少なくても帰れるのを楽しみにしていた
けど、離婚するということ、恋人の話、今の職場の話、そして今の自分とあんまりにも変化が大きすぎることと、やはり歳は皆必ずとるもので、家族も私も変わってしまった。
絶対の味方だと思っていた母は、経験のなさとものを考える頭がより弱くなってしまったらしく、思考放棄のメンヘラとして生きていた。
パニック障害や統合失調症、発達障害などの様々なものが悪化していて、まるで話にならなかった。
祖母は相変わらず重度の認知症で、話をした一秒後には全く同じ質問を繰り返す。
そして認知症の悪化と共に、私への過保護具合も重症化しており、人をまるで幼稚園児か何かと思っているかのような心配の仕方をする。
父親があまり変わらないのが幸いだったが、やはり、歳をとった。
多分、一番変わってしまったのは私で、彼らを家族ではなく、最後のお金の拠り所として認知してしまったような、そんな最低な気分に襲われた。
人として話が通用しない、壊れた人形達と話をしているような、本当にそれくらい話が通じない。
家族であろうが縁を切る時は切る、と、今までの自分だったら絶対に言わないことを平然と言ってしまった自分が一番恐ろしかった。
母は、恐らくもう私を自分の子供と信じられないのだろう。
恐らく祖母は、私の事を心配しながら亡くなると思う、明らかに間違った心配の仕方のまま。
娘よりも孫を気にかけて、その歪みは絶対に母に行くと確信している。
父の人生はこれで良かったのだろうか?
私もどうして、こんな風になってしまったのか分からない。けど、どこかで確かに道を踏み外しているのだろう
段々と物の見方が変わっていく。こうして、二十数年自分の中で「絶対」だったものが、「絶対」では決してなくなっていく。これを成長と呼べば聞こえはいいが、何か取り返しのつかない悪路への一途を辿っているような気しかしない。
人に対しての諦めを、この一年で経験しすぎたのだろうか。
裏切り、裏切られ、騙し騙され、先立たれ、遺され、新たに出会ってはまた誰かを無くしていく。
移ろいゆく自分の中が、良いものなのかも分からないまま、ただ時間と日々に流されていく
何があっても、というものは、無い。
あまりにも私は、全ての事を受け入れ過ぎてしまうようになった。
強さといえば強さなのかもしれないが、それは逆もまた然り
何か恐ろしいものになっているのではないかと、少しだけ怖くなってしまう。
話が逸れたが、兎にも角にも私の二十五年信じてきたものが崩れて、壊れてしまった。
そして、生涯を誓ったはずの人間とも別れの目処を立たせ、仕事も今は休みやら時間の削りやらで打ち込むに打ち込めず、いよいよもって、私には恋人しか居なくなってしまった。
自分の中が、空っぽになってしまったような、大事なものをボロボロと、そこら辺に落としてきてしまったような、
その空白に、恋人がすっぽりと隙間を埋めてくれている。私の中で、恋人の存在を「絶対」にして、自分自身を洗脳しているかのように刻んでいく。
この人が居てくれればそれでいいと、一つずつ自分の中のくだらない思い出を消していく
多分この先一生、私はまともな人間にはなれない。人としては欠陥品、それどころか最早半壊してるような人生で、この先何をどうしていくのだろう
それでも、きっとどうにかなるし、どうにかできるから、強く生きていくしかない。
私の中の絶対を、今度こそ自分に定めて、この美しく愛おしい想い人と共に歩んでいくしかないのです
早く春になってほしい話
つい先日、最近の話。21時というかなり遅めの時間に出勤だった日のこと、
16時に起きて、長々と風呂に入った。どうせ家を出るのは20時近くだ。遅めの出勤の時ほど、いつもと同じに起きる。そうして、出勤までの時間をゆったりと過ごすのがお決まりだ。浴槽にお湯を張り、薔薇の香りがする入浴剤を一個、放り投げる。
しゅわしゅわ、と小さな音と泡を立てて、可愛らしい香りをする丸い入浴剤が、少しずつ溶けて形を変えていく。その様を眺めながら、家に誰も居ないのをいいことに、YouTubeを爆音でかけ流す。でも、その音量もシャワーを浴びている間は全く聴こえない。
髪から体、歯を磨いて顔を洗う。全ての工程を終えてから、綺麗になった体で湯船に浸かる。その頃にはもう、浴槽の中は薔薇の香りで満ちていて、それから少しシャンプーやトリートメントの香りが混じっていく。首を揺らせば、自分の髪からとてもいい匂いがする。
ようやく、YouTubeの音楽が聴ける。動画はあまり観ない。あくまで、音楽を聴く。お風呂の中で聴く曲って、どうしても少し攻撃的かつエロティックな音楽を選びがち。
最近はずっと[A]ddictionを聴いている。恋人もかっこいいね、と言ってくれた曲。局長は勿論のこと、歌詞も大好き。寧ろ歌詞がメインで好きかもしれない。正に自分の恋愛観そのもの過ぎて、ああもう大好きって感じで
この曲を聴いてると、自然と腰が揺れる、体が揺れて、とてもキモチイイ。
灰皿も用意して、煙草を吸う。風呂の中で吸う煙草は、また一味違っていい。
あと、これは完全に私のフェチの話なんだけど。ジーパンとか、そういうのを履いているけど上半身はブラだけってめちゃくちゃエロいよね。男の人でも、上裸って凄くセクシーだと思うの。その上、ネックレスや腕時計とかの何かアクセサリー的なものだけ付けていたらもう堪らなくエロい。だから私は基本的に上裸の時は腕時計もネックレスも付けている。ネックレスは恋人とお揃いのものだから、普段から肌身離さず付けているけど。加えて貴金属を身に付けている感じが好きで、仕事も何もないのに腕時計も付けてしまう。洗い物やお風呂以外は、常に腕時計も付けている。
これも恋人から頂いたものだ。とてもとても大事に使わせて頂いている。デザインも凄く好きで、もう純粋にお気に入り。センスが神だと思っている
私はかなりお湯を熱くしてしまう。シャワーの温度も基本的に高くて、特に浴槽に湯を溜める時の温度は、とてつもない熱さ。多分45度くらい、もしかしたらそれより高いかも。それくらいの熱めの風呂に入るのが好き。のぼせそうになったら、そのタイミングで浴室のドアを開ける。冬じゃないと楽しめないのよね、この感覚は。冷たい空気が一気に入り込んできて、その温度差が凄まじく快感なの、空気の匂いの違いさえも
顔から肩へと急激に冷えていく、外から入り込んでくる空気の冷たさが、とても良い。噎せそうなほどの浴室内の香りが、クリアになっていく、その移り変わりもとても好きで、何故だかその瞬間、春を感じる。春の宵を、いつの季節でも楽しめるのがこの行為だ。早く春になってほしい、待ち遠しくてつい、疲れるとこれをやってしまう。
社員時代、一人暮らしだった頃。ストレスの限界が来ると、上記の一連の流れに加えてのぼせながらストロングゼロを3缶くらい一気飲みするという自殺行為をよくやっていた。あの頃は今よりも酒との付き合い方がクソだったし馬鹿だった。死にに行ってたし、酒に酔わないと本音も言えなくて、家事もできなかった。仕事が終わっては、24時間やってる日高屋でラーメンとか炒飯とか食べながら、絶対にレモンサワーがお供だった。日高屋のレモンサワーって、なぜかとても焼酎が濃いの。あ、ウォッカかもしれない、あの味は。ストゼロかよってくらい濃くて、それがジョッキでくるものだから、お手軽に酔っ払えたっけ。一人で何やってんだって感じだけど、きったねえ店で沢山の中年のサラリーマン達が愚痴を吐いていたり、何かもーよく分かんない人達がたっくさん集まって、飲んだり食ったりしてんの。その中でぽつんと一人、私だけが孤独に感じてたなあ。でもその孤独感が快感だったりもしたから、やっぱり根本的に一人が好きなのかもしれない。恋人と居る時だけは例外だけど、それでも一人の時間は欲しい
毎回一人で会計が三千円超えてた。ほとんどがレモンサワー。一人でべろべろになりながら、フラフラしながら自転車で帰るの。マンションに。で、ドアを開けて、付けっ放しの電気に安心して、鞄を放り投げてお湯を溜めて、テレビを付けて洗い物をする。流れっぱなしのテレビは大して観ないで、浴槽の中で自殺行為。体が冷える前に上がって、布団にダイブして、日報と明日の予約の管理チェックと、週報と、FBと、ワインの記事を書いて、スマホを壁にぶん投げて、ぬいぐるみを抱き締めて眠る。
そんなやさぐれた毎日を送っていたっけな。
香りものが好きだから、あの頃は香水もアロマも腐るほど買い込んでたっけ。お金には困ってなかったけど、ストレスが死ぬほどやばかった。
ああ、懐かしいな。あの日々からもう、三年経とうとしているのか
何の話をしていたんだっけ。ああ、そうだ。お風呂の匂いが好きって話、
最近はよく情緒的に生きられていると思う。好きな自分で居られていると思う、
この間、恋人から珍しく「来ないの?」とLINEを貰ったから、急遽仕事が終わった後恋人の住むマンションにお邪魔した。少しは寂しいとか、会いたいと思ってくれたのだろうか、と嬉しく思う。
恋人ともう酔っ払わない、という約束をしてから、本当に酔わなくなった。仕事柄、のみ営業とかもあるのでその状況に応じて飲まざるを得ない日もあるけど、無理はしなくなった。ちゃんと水を飲んだり、ダミーを作れる時は基本ダミーで、あ、もういいかなって思ったらちゃんと逃げるとか、そういうのを本気で対策するようになった。お陰様でしんどくならなくなった。
お喋りして、恋人がゲームをやってるのを眺めて、抱き合って眠る。そういえば久々に飲んだな。不思議と飲みたくなるのは、恋人だからだろうか。多分、そうだと思う
恋人の身体からは、いつも良い匂いがする。少し甘い匂いで、かいでると眠くなってくる。安心するし、癒される。早く引っ越したい、し、早く一緒になりたい。今の生活から解放されたい、なんて。
最近は本当に疲れてしまって。夫の一挙一動にイライラする日々で、でも夫は微塵もそんなことは気付くはずもなく、でも今日、久しぶりに外食をしたら真剣に心配された。
最近は本当に心配だよ、軸がぶれぶれで、今まで見たことがないくらい情緒不安定じゃん、と言われた。
「少なくともこの三年間、俺は宵さんのことは誰よりも見てきてるし解ってるつもりだから」
心の中で腹を抱えて笑い転げる。そうね、誰よりも見てきているとは思う、けど、解ってない。あなたは何も解ってない!
私はそんな単純でもないし、あなたにはごく一部の一面しか見せてないのよ。こうすればあなたは喜ぶでしょ、こうすればあなたからの信頼を得られるでしょ。こういう女が好きなんでしょ?全部知ってるよ、どんな女と浮気したがるのか、どの女に下心を持っていて、どの女には本気で興味がないのか
私のことでどんな部分が嫌いなのかも、私をどんな人間として見ているかも全部知ってるよ。
やりとりだけを知ってるのだと、思っているのだろうね。それ以外も腐る程、沢山知ってるのに。三年も一緒に居たんだよ、どれだけ私が人を観察するのに優れているか知らないでしょ。眼球の動かし方、会話の間のコンマ一秒、全部全部把握している。嘘をつく時は必ず指先を一瞬見るものね。イラッと来たら口角の右端だけがわずかに釣り上がる。そういう自分じゃ分からない他人の癖を、私はずっと見続けている。だから全部分かるよ、あなたが本当は遊び人でも何でもなくて、私に見栄を張っていることも、もう何度も嘘の武勇伝を聞かせてしまってる手前、引っ込みがつかなくなっていることも、遊び始めたのはつい最近だってことも、全部知ってる。そして私にはそんな観察眼は持ち合わせていないと思っていることも、こういう話し方をすれば私が従順に言うことを聞くものだと思っていることも、私の手懐け方を間違って把握していることも、何もかも知ってるんだよ、こっちは。
早く、早く終わりにしたい。引っ越したらすぐに行動だな、未練も何もない。疲れてしまった、私のことを全部解ってるように言う、全然そんなことはない。結局私の根本的な所は何も見えてくれなかったね、まあ、見せようともしてないんだけどさ
最近は職場の早上がりが苦痛で、極力残してもらうようにしている。
家に帰りたくないんです、と言うと店長も副店長も察してくれるので、申し訳ないと思いつつ、ありがたく店に残してもらったり。サビ残でもいいから帰るのだけは勘弁してくれとお願いしている
ま、そんな話は置いておいて。
こんなはずじゃなかったな、って人生でもなく、かといって期待通りでもなく、私の今は多分一番充実しているのではないかと思いました
全然こんなつもりじゃなかったけど、それでも大事にしてきた情緒は日常生活の端々でちゃんと味わえているし、恋人はエモいし(?)、人って思ってる以上にきったねえなって思いながら色んな人を見ているけど、それでもまだ灯を、風の匂いを、五感で美しいと思える自分が居る、それだけで十分だと思う
高校生の頃は、大人になったら下北沢か高円寺か江古田で、家賃のめちゃくちゃ安いおんぼろアパートに住むのが夢だった。恋人と夕暮れ時手を繋ぎながら商店街に夕飯の買い物を一緒に行くのが夢だった。白いスーパーのビニール袋からネギとかが飛び出てて、その袋卵入ってるから気をつけてよ、なんて言い合いながら一緒にぼろアパートに帰って、お風呂沸かして、洗濯機は外にあったりして。そんな生活をしてみたかった。舌ピとかピアスばちばちに開けて、髪の毛とかすごい色にして、服装はだるっだるで。シャワーを浴びたら、髪の毛とか乾かさないで外に出るような、そんな生活をするサブカル系の大人になりたかった。
漫画家にもなりたかったし、小説家にもなりたかった、し、小説家になるものだと思ってた。現実はとても厳しいね、お金が無ければ生活はできないし、今はもう下町情緒溢れる煙草屋のおばちゃんも居ない。
あ、クレヨンしんちゃんの、オトナ帝国のあの街の住人になりたかった。
昭和に生まれたかった。バブルの時代を見てみたかったし、明菜ちゃんをリアルタイムでテレビで観たかった。ドリフとかもさ、まだ長さんが生きてた頃とか、皆が若い頃のを観てみたかったし、ボディコンとか着てみたかったな。あの時代のメイクも髪型も凄く好きで、とにかく昭和が好きで好きで、生まれてもないのにその時代が恋しい。
色々、こんなつもりじゃなかったけど、それでも満足のいく人生は送れていると思うし、何だかんだで私は幸せ者だと思う
思い通りには、なっている方だと思うから
このまま恋人と幸せに生きられればいいなと、思う
何だかよく分からないブログになってしまった。最近は考えることが秒単位でコロコロ変わってしまうので、収拾がつきませんでした。頭の回転が速くなったってことにしよう、そうしよう。